YamaとNiyama
ハタヨガにおけるヤマとニヤマ
ヤマとニヤマはハタヨガにあるのでしょうか。10の行為における規則と10の守るべきことがHatha Yoga Pradipikaで示されています。一方、Hatharatnavaliでは15のヤマと12のニヤマがあると述べられ、そしてパタンジャリのヨガスートラはそれぞれ5つを挙げています。しかし、ハタヨガではヤマとニヤマにはそれほど重きを置いていません。
パタンジャリのラージャヨガはヤマとニヤマはハタヨガを始める前に訓練すべきだと主張しています。心を制御して、それから身体を浄化すると言います。
しかし現代、もし訓練者が精神的な探求の最初に心へ直接対面したなら多くの問題が湧き上がるでしょう。心によって心を制御することは非常に困難です。したがって、ハタヨガではシステム全体が一般の人たちのためにデザインされています。
ハタヨガは身体の浄化から始めます。そして次にアーサナとプラーナーヤーマを行います。ヤマとニヤマは心が安定した時に訓練します。そうすると心の外側へ向かう傾向がより簡単に制御できます。
Hatha Yoga PradipikaでYogi Swatmaramaは、訓練の後半の段階においてヨガ訓練者への要求を単に示しています。彼はヨガを高める方法と失敗する要因を述べています。ヤマとニヤマは、彼がこれらの原因を述べる理由を実証するために与えられています。
Yogi Swatmaramaはまた規則に執着するなと忠告しています。ヤマとニヤマは規則で、そしてそれらはまた道徳律です。最初、それは重要ではありません。そしてそれなしではヨガにおいて成功できないと考えるべきでもありません。ヤマとニヤマはヨガの訓練者を道から外れないようにする指針として与えられています。
今日そしてこの時代において、ヤマやニヤマのような規則を守ろうとするのは難しいかもしれません。したがって、ハタヨガはそれらを重視していません。
しかし、それらはヨガの訓練と精神的な探求とともに養うことができます。心は不自然だと感じるものを無理に受け入れるべきではありません。それが自然に来るとき抑圧はないでしょう。
もし個人の性質に反するような何かをするように強制されたなら、様々な種類の精神的な混乱が生み出されます。ヤマとニヤマを覚えておき、そしてそれらが自然に開発されるようにしましょう。
ハタヨガにおけるヤマ①
ハタヨガでのヤマとは何でしょうか。Hatha Yoga Pradipikaには10のヤマが示されています。
最初のヤマはahimsaです。それは、どのような状況においても、誰かもしくは何かを肉体的に、感情的に、心理的に、もしくは精神的に傷つけるという欲求なしに受け身でいることです。
Ahimsaは何かを害するという意思をもって行動しないことを意味します。結果として調和と平安が維持されます。
Ahimsaという言葉に宗教的な意味を与える必要はありません。それは自己制御、自己認識、そして気づきの過程です。他の人を意図的に傷つけたなら、自分の心と行動の制御が失われ、内側に不調和が生み出されます。
Ahimsaは純粋な精神へとより近づくことを意味します。マハトマガンジーはこの教義の素晴らしい例です。
正直は、現代社会においてほとんど見られないものです。そして、それは私たちにとって間違いなく養われ、注入される必要があるものです。基本的に、satyam、正直は自分自身に正直であることを意味し、個人的な利益のために他人をだますことに対してではありません。
次に、Asteyamは分かりやすく、誰かのものを盗まないことです。それは社会的、道徳的な理由だけでなく、心における反響を避けるためでもあります。
盗むことは罪を生みます。ヨガでは心と性質からコンプレックスやサムスカーラを解放しようとします。したがって、さらにそれを作り出さないことが重要です。もし何かが必要で、それが本当に大切であれば、それはやってくるでしょう。
Brahmacharyaは一般的に性的な関係などの節制であると考えられます。ある人は異性と話したり、もしくは見ることさえしません。しかし、これは本当のBrahmacharyaの意味ではありません。
Brahmacharyaは2つの言葉、brahman(純粋意識)とcharya(動くもの)から成ります。したがって、それは男や女といった二重性を超えた純粋意識への継続的な自覚をもって暮らす人を意味します。
Atmaとの継続した親交にある者がbrahmachariです。本当のbrahmachariは性的な関係をもつことができ、そして崇高な経験だけに意識を維持します。異性と接触したとき情熱は起こりません。
ヨガとタントラで、それはbinduを維持することとして説明しています。Binduはそれが生み出される脳の中心で保持されなければなりません。それは生殖器を通して流れだすべきではありません。この目的でヨガには多くの技術があります。ヨガは松果腺と脳下垂体を制御することによって内分泌系全体に影響を及ぼします。
性的な抑制は、心と身体を制御しようとする初期段階で必要かもしれません。しかし、もしそれが管理されれば、より高い現実の意識が維持され、性的な関係は障害ではなくなります。
実際、タントラでは性的な関係が精神的な目覚めに有害であるとは全く言われていません。逆に、タントラは性的な行為は精神的な覚醒を誘発するために利用することができると言います。
性的な接触を避けることによって、自動的にbrahmachariになるわけではありません。40年間、性的抑制を行ってもBrahmachariでないかもしれません。
あらゆる接触を避けても、もし心が性的な妄想に付きまとわれるなら、その人は間違いなくbrahmachariではありません。それは欲求不満を引き起こす抑圧で有害なものになります。したがって、ハタヨガではホルモンの分泌と腺の働きを制御することによってbrahmacharyaの助けになる特別な技術があります。性的な考えや欲望が抑制されます。
何が性的な動機を引き起こすのでしょう。それはホルモンを通した脳と身体における化学的な反応です。ホルモンの制御が本当のbrahmacharyaを誘発します。
Binduが脳の中心で維持されるとき、性的な衝動が制御され、心は最高位の意識へ没入することができます。
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