ヨガを極める52

ハタヨガのニヤマ②

神への崇拝は、宗教に関係するものとして、誤解すべきではありません。パタンジャリは、それをIshwara pranidhana、もしくは神への献身と呼んでいます。インドでは多くの人が、宗教的な儀式を、彼らの義務として行います。しかし、それはここで意味しているものではありません。

すべてが神聖なものです。そして、崇拝は内的なものであるべきです。もしも、最上の現実を感じることができないのなら、何時間も儀式に時間を費やすことに何の意味があるのでしょう。

儀式は、内的な意識を目覚めさせるために行うべきです。もし、痛みや苦しみを引き起こす家族や友人との口論がまだあるなら、儀式は無意味です。儀式は、すべてのものにある微細な力に、意識と尊敬を伝えることを意味します。

第6のニヤマは、siddhantavakya shravanamで、崇高な経典の講話を聴くことです。伝統的にsiddhantaは、ヴェーダとヴェーダ哲学の特別な部分です。それは、簡潔にまとめられた崇高な知識の集積です。

崇高な知識、そして古代の聖者たちが、彼らの探求と経験において発見したことを聞くことで、私たちのより高い能力を開発する助けとなります。それは、精神的な道を理解するのに役立ちます。

インドでは、崇高な知識を持つ人と一緒に座り、心などの問題について議論する伝統があります。それはsatsangと呼ばれています。そこでは、様々な精神的なトピックを聞くことができます。ほとんどの人が、エンターテイメントなどに時間とエネルギーを費やします。Satsangは、心と感情のエネルギーを保存し、個人の意識を神聖なバイブレーションの領域に維持します。

Matiは、洞察力のある知性で、それは真実と真実でないものを識別するために不可欠です。それは本質、もしくは根本的な真実に気づくことができることを意味します。それは、夢の重要性を解釈することができるようなものです。人生はまた内的世界の象徴です。その意味を理解し、正しく分析し、判断できるのは、洞察力のある知性をもつためです。

Japaは、マントラを繰り返すことです。マントラは、心の中で、もしくは、つぶやかれたり、歌われたり、書かれたりします。マントラは、心と意識のより深い層に影響を及ぼす特別に組み立てられた音のバイブレーションです。様々なレベルのマントラがあります。いくつかは微細な身体に影響し、いくつかはプラーナの振動に影響し、そして他は純粋に超越的なものです。

最初、japaは、意識して機械的に行われます。しかし、後になってマントラが意識の中から自然に出てきます。それについて考える必要はありません。それはそれ自身で続きます。すべての人に使われる万能なマントラは、Aumです。それより偉大なマントラはありません。

最後のニヤマはhutam(犠牲)です。それは儀式における奉納を意味しません。それは、欲望をあきらめる、そしてエゴを捨てる、精神的な経験のために感覚的な経験を犠牲にする内的なものです。犠牲とは、人生が楽しむためだけにあるという考えを手放すことです。

Hatha Yoga Pradipikaで与えられているすべてのヤマとニヤマは、元々ヨガの訓練者がプラーナと精神のエネルギー保存し、増強するのを助けるために作られた20の心の訓練と自制を構成しています。

それらは、ヨガの代表者によって組み立てられましたが、多くの宗教においても、また見受けられます。これらの訓練が、精神的な経験のために役に立つことが発見されました。しかし、それらは単なる宗教的な訓練だと考えるべきではありません。それらはヨガ科学の一部分です。

 

ハタヨギーの資質

いくつかのウパニシャッドは、ラージャヨガの技術の多くをハタヨガに組み入れています。1つのウパニシャッドは、ヤマとニヤマのいくつかをハタヨガの部分として述べています。調和のとれた食事を意味するmitaharaと非暴力を意味するahimsaが言及されています。

Mitaharaに関連して、アーユルヴェーダとハタヨガの理論は、適切な消化を維持するためと、消化器官を刺激するために、食べ物は、ある量、もしくはある割合で消費されるべきだと述べています。その割合は、胃の中の50%が固形物、25%が液体、残りの25%が空気です。これは、ヨギーとヨギーニが従うべき決まりです。

この規則は心の制御を導きます。貪欲は監視されなければなりません。したがって、身体の利益とは別に、自己観察と心の制御の面があります。

ハタヨガで従うべきニヤマは、Ahimsaです。ここでのAhimsaは傷つけないことを意味しません。Ahimsaのヨガ的な概念は、内側からの暴力の除去です。

私は、Ahimsaに従う、私は殺さない、傷つけないとただ言うことは、否定的で有害な考えが心にある限り、ヨガにおいて何の意味もありません。もし、ある人が自分自身もしくは他の人を、考えや行為を通して傷つけたなら、暴力の暗い陰は、まだ性格もしくは人生から無くなっていません。

したがって、ウパニシャッドにおいてahimsaは、ニヤマの一つとして定義されています。それは、心の機能、行為の形態と活動において完全な調和を生み出します。

Ahimsaは、気づきの助けで達成されます。行為や活動において反映された有害な考えに気づくとすぐに、誰かが感情的、知的、もしくは肉体的に傷つけられたと認識されるとすぐに、それはその時、そこで止められなければなりません。

Powered by 超美人ヨガ(AnandaYoga)
「King of Yoga(ヨガの王道)」
ここでしか学べないヨガがある!