ヨガを極める㉞

Laya(ラーヤ)とは

Layaはすべての感覚の対象を忘れ、瞑想の対象だけに没入する時の心の状態です。Layaは心が完全に制御された状態で、心の変動が止まります。心、身体、そしてプラーナが全体的に制圧されます。

ラーヤヨガのために、shambhavi mudraが効果的な方法です。最終的に、ラーヤヨガの訓練を通して、ヨギーはサマーディを確立します。

サマーディとプラーナーヤーマ

プラーナが制御されるのは意識を通してです。そして意識が制御されるのはプラーナを通してです。この科学はラーヤヨガとして知られています。

プラーナーヤーマを通して完全なサマーディが得られると言うハタヨガの部門があります。プラーナーヤーマが訓練されるとき、自動的に心を超越し、そして心が喪失します。心が無くなり、私が無くなります。2重性が無くなります。その状態になると私たちは1日から4日間座り続けることができます。ハタヨガによって身体は浄化されているので、いかなる困難もありません。これがラーヤヨガの訓練です。

ラーヤヨガにおいては、心と戦う必要はありません。神などに集中する必要もありません。もしそうしても問題ありませんが、心と戦ったり、心に取り組んだりする必要はありません。

それでもハタヨガの訓練はしなければなりません。身体は浄化され、プラーナーヤーマの訓練をしなければなりません。しかしハタヨガはアーサナとプラーナーヤーマを意味しません。伝統的にハタヨガはアーサナとプラーナーヤーマと関係ありません。ハタヨガはある方法によって交感神経と副交感神経に調和をもたらす活動です。

ラーヤヨガの訓練を望む者はハタヨガを最初に行うことが非常に重要です。

サマーディへの道

ラーヤは心の邪魔なく到達したサマーディの状態と言うことができます。ラーヤヨガ、またハタヨガにおいて、心へ直接影響を与えようとはしません。そこではプラーナと心の相互関係が認識されており、心は最初にプラーナを制御することによって制御されます。静止することのない心を持つ者にとって、心の制御を強調するラージャヨガのようなシステムよりも、このシステムははるかに簡単です。

ラーヤは2つの極、心とプラーナ、瞑想者と瞑想の対象の併合です。その2つが発生するところの源への没入があります。個人のプラーナと心がそれらの源に吸収された時、意識、潜在意識、そして無意識は存在しません。ラーヤの状態は宇宙的な身体を越えた没入を意味します。それは高次チャクラにおけるプラーナと意識の併合です。

心を制御する過程において、人生を通して自分自身と戦いつづける可能性があります。時々、この過程の間に起こる葛藤や苦労によって分離した性質が作られます。したがって、大志や大きな欲がある活動的な人にはハタヨガの道が適しています。

ここで強調するのは心を制御するのではなく、プラーナを制御することです。訓練者が正しく実践し、身体が浄化されたなら、心は自動的に後退していきます。

ハタとラーヤヨガ

プラーナーヤーマ、ムドラー、そしてバンダの訓練はラーヤヨガにおいて欠かせません。そしてそれらを適切に学ばなければなりません。

これら3つの訓練を完成するために、ハタヨガに熟達しなければなりません。パドマアーサナなどで座る時、身体は不動であり続けなければなりません。プラーナーヤーマの訓練において、プラーナは身体全体をかなりの速さで動きます。そのプラーナの動きは完全な不動の状態を維持することで補助されなければなりません。

ラーヤの状態が起こるためには、kevala khumbakaが自然にある程度の時間行われなければなりません。これが起こるとき、心は自動的に集中の1点に没入しています。すべてのこれらの過程がラーヤもしくはサマーディへとつながります。ラーヤは身体のプラーナ全体が宇宙のプラーナと結合するときに起こります。

ハタヨガを訓練する時、ラーヤヨガへの準備が整います。中枢神経と直接関係するイダーとピンガラーが完全に調和するとき、まさしくその時、ラーヤヨガの準備ができています。さもなければ神経的な不調和で失敗するでしょう。

これら2つの偉大な神経のシステムにおける調和と均衡がハタヨガの訓練によってもたらされます。しかし、もし訓練者がハタヨガを実践しなければ、もしそれなしになんとかできると感じるなら、神経の不調和がラーヤヨガの訓練において現れるでしょう。そのような人は怠け者かもしくは暴力的になるかもしれません。

Powered by 超美人ヨガ(AnandaYoga)
「King of Yoga(ヨガの王道)」
ここでしか学べないヨガがある!