パタンジャリのアーサナへの考え
パタンジャリのヨガスートラでは、アーサナとプラーナーヤーマに関して細かい説明がなされていません。それはなぜでしょうか。
ラージャヨガの訓練は、ハタヨガの後になされます。ラージャヨガにおけるアーサナの説明は、快適で安定した身体の姿勢です。これを理解し、このレベルに達するためには、ハタヨガを通した基本的な準備を経験しなければなりません。
プラーナーヤーマの解説においても、パタンジャリはプラーナーヤーマは、息を吸う、吐く、そして止めるとだけ言って終えています。これは訓練者が、呼吸のパターンとプラーナの力の制御をすでに達成していることを示しています。
<Point1>
ラージャヨガの重要な経典であるパタンジャリのヨガスートラでは、ヨガにおける重要な技術であるアーサナとプラーナーヤーマに関する詳細は述べられていません。これはラージャヨガの実践にはある程度の身体とプラーナの状態が不可欠であることを暗示しています。
彼は、訓練者がこのレベルの意識と技術を持っていることを予期しています。彼はハタヨガで述べられているアーサナとプラーナーヤーマの訓練を解説していません。
ハタヨガのシステムにおいてアーサナの活動的な訓練が見られ、ラージャヨガのシステムでは、私たちは静止したポーズを見つけます。ハタヨガは、ポーズの始まりで、そしてラージャヨガは、ポーズにおける最高点もしくは完成の結果です。
アシュタンガヨガにおいて、アーサナとプラーナーヤーマは特別な目的を持ちます。伝統的なテキストにおいて、アーサナは、長時間、楽に座ることができる姿勢として定義されています。これがアーサナの伝統的な定義です。
動的、そして受動的な、様々なアーサナの種類があります。身体の働きの完全な制御を目的とする動的な姿勢は、Geranda Samhita、Shiva Samhita、そしてDattatreya Samhitaのようなヨガのテキストで解説されています。しかし、パタンジャリのヨガスートラにおいて記述されているポーズは瞑想的で、それらは瞑想の過程を助けるものです。
私たちは、瞑想の為に座り、それからシンボル、マントラ、呼吸、考え、ヴィジョンなどに集中します。もし、ある人が訓練されていないなら、身体に痛みが起こり、集中が途切れるでしょう。訓練者は身体とともに平安でいる方法を学ばなければなりません。そうすれば、身体と感覚の乱れが集中に影響を及ぼしません。したがって、アーサナの訓練が最初の段階です。
<Point2>
ラージャヨガにおけるアーサナは、長時間、安定した姿勢で座り続けるための技術です。そして、それは瞑想のための姿勢を作るものです。したがって、ラージャヨガのアーサナは、瞑想のためのものと言うことができます。
集中とプラーナーヤーマの考え方
集中とプラーナーヤーマの概念は、ハタヨガとラージャヨガでは違っているのでしょうか。
集中とプラーナーヤーマの訓練は、お互いに依存しています。もし、プラーナーヤーマが訓練されたなら、集中力も養われるでしょう。もし、集中の訓練がなされたなら、自然なプラーナーヤーマが流れるでしょう。
パタンジャリは、様々な種類のプラーナーヤーマの訓練を強調していません。彼は「ゆっくりと吐いて、それから息を吸って、そして止める」と述べています。そして、あなたは安定して、平安な心を得るでしょう。
プラーナーヤーマを科学として開発し、様々な人に適した様々な訓練を言及したのは、ハタヨギーだけです。ハタヨギーは、プラーナーヤーマの訓練をし、そして心を制御します。ラージャヨギーが集中、そして、それからプラーナの制御の訓練をする一方で、ハタヨギーは低いレベルから高いレベルへと登っていきます。
ハタヨギーもラージャヨギーも両者とも、最終的に共通の場所で出会います。異なった性質のために異なった訓練があります。ある人にとって、プラーナーヤマの訓練を始めるのが簡単で、他の人は集中の訓練のほうが簡単です。それぞれの個人の状態に合わせて訓練を行っていきます。
<Point1>
ハタヨガでは、プラーナーヤーマの訓練を通して、自然な集中状態を作っていきます。一方、ラージャヨガでは、集中の訓練を積極的に行っていきます。私たちは、自分の性質などに合わせて、ヨガの方法を選ぶことができます。それぞれアプローチの仕方は違いますが、最終的なゴールは同じです。
ラージャとハタヨガにおけるプラーナーヤーマ
ラージャヨガとハタヨガでは、プラーナーヤーマは異なっているでしょうか。
プラーナーヤーマは、エネルギーの流れの制御を意味します。パタンジャリのヨガスートラは、プラーナーヤーマを息を吸う、止める、そして吐くのプロセスとして定義しています。
息を吸うはエネルギーの獲得、止めるはエネルギーの調和、そして吐くは無駄なエネルギーの除去を意味します。吸う、止める、そして吐くは私たちのプラニックボディに影響するプロセスを示します。
ヨガスートラは、ナディーショダナ、もしくはカパラバティのようなプラーナーヤーマの訓練を記述していません。なぜならそれらは他のテキストで説明されているからです。したがって、吸う、止める、そして吐くは、呼吸の技術ではなく、私たちのプラニックボディに関係するエネルギーの活動だということを理解すべきです。
ハタとラージャヨガの両方で、プラーナーヤーマは、アーサナの後に来ます。ハタヨガにおけるプラーナーヤーマは、ラージャヨガで使われるものと同じです。しかし、呼吸の複雑さや集中が違います。
例えば、ハタヨガにおけるカパラバディプラーナーヤーマは、ラージャヨガにおけるものと違います。カパラバディには、2つの訓練があります。一つはラージャヨガのシステムで、もう一つはハタヨガのシステムです。
ラージャヨガのシステムでは、呼吸の保持やバンダは無く、強い吐く息があるだけです。ハタヨガの訓練では、深く息を吸いバンダを行うことがあります。もし訓練で呼吸の保持やバンダが含まれるなら、それはハタヨガです。もし呼吸だけなら、それはラージャヨガです。これらは多くの人が知らない詳細なので、混乱があります。
もっと特別なプラーナーヤーマの訓練として、ピンガラーナディーだけを活発にするハタヨガ独特のものがあります。それはラージャヨガにはありません。
したがって、ハタヨガにおける、そしてラージャヨガにおける異なったプラーナーヤーマがあります。いくつかは違っており、ほとんどが同じです。そして訓練の仕方が変わります。
ハタヨガにおいて、それはより活発で、プラーナとチャクラの動きへ集中していきます。ラージャヨガではそれほど活発ではなく、プラーナの動きへの意識はそれほど強くありません。
2つの観点があり、ハタヨガではプラーナの活性化、ラージャヨガではプラーナを静める、どちらもプラーナーヤーマの技術を使います。プラーナーヤーマを訓練する方法がハタヨガとラージャヨガでは変わります。
ハタとラージャヨガにおけるケチャリームドラー
ハタヨガにおけるケチャリームドラーの技術は、ラージャヨガの方法と違っているのでしょうか。
ハタヨガの独特な性質は、ラージャヨガで述べられているムドラーがハタヨガで説明されているものと似ているけれど、ムドラーとバンダの訓練において明らかです。
ハタヨガの訓練が身体に負荷を与え、身体の状態を変えることによって実行される一方で、ラージャヨガの訓練は、標準的な身体の状態を念頭に置いています。ケチャリームドラーの訓練は一つの例です。
ハタヨガによると、ケチャリームドラーにおいて舌が伸ばされます。舌を伸ばすためのいくつかの技術が述べられています。一つの技術は舌の下の小帯を切断することです。このハタヨガの技術は、誰にでも勧められません。小帯を切断することは、食事を困難にします。また話が不明瞭になります。
ラージャヨガでは舌を上方後ろへ維持し、舌が口蓋に接触することをケチャリームドラーと呼びます。今日、勧められるケチャリームドラーの訓練はラージャヨガに関係しています。
このようにハタヨガに適用される技術は身体に過度な力を加える厳しいものです。一方、ラージャヨガにおいては、簡単な方法が用いられます。
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