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ラージャとハタヨガ

ラージャヨガはハタヨガと、どのように比べることができるでしょう。

ハタヨガとラージャヨガは、分けることができません。ハタヨガは、肉体的な身体と呼吸の制御に関係しています。ラージャヨガは、心を扱います。ラージャヨガとハタヨガは、お互いに依存しています。ラージャヨガとハタヨガは、お互いに必要な対の片方です。

これら両方のヨガの訓練の知識なく、完全なヨギー、ヨギーニにはなれません。ラージャヨガは、適切に訓練された、ハタヨガが終わると始まります。ハタヨガを正しく実践し、身体とプラーナがある程度調整されたなら、ラージャヨガを実践します。

ハタヨガは、ラージャヨガの準備になります。ハタヨギーは、身体とプラーナの訓練を始めます。ラージャヨギーは、心の訓練を始めます。ハタヨガの訓練を通して健康を獲得し、ラージャヨガへと進みます。

<Point1>
現在、ヨガスタジオやヨガ教室で行われているのは、ほとんどがハタヨガです。ハタヨガはヨガの基礎として、とても重要です。しかし、それだけでは不十分です。ハタヨガは、あくまでも準備です。ハタヨガの訓練により、身体とプラーナが調整されたなら、ラージャヨガへと進んでいきます。これが本来のヨガのプロセスです。

ラージャヨガの準備

ハタヨガの重要な経典であるハタヨガプラディピカで、ヨギースワトマラマは、ハタヨガはラージャヨガの準備として使われると説明しています。

ハタヨガの訓練を通して、意識は心と直接対立することなく高められます。ハタヨガはホルモン分泌、呼吸、脳波、そしてプラーナを制御します。結果として、心が自動的に調和します。

ハタヨガが手段で、ラージャヨガがゴールです。ハタヨガは、ラージャヨガへと続く階段なのです。訓練者がラージャヨガの状態に到達すると、ハタヨガは必要なくなります。

<Point1>
私たちが、何の訓練もせずにラージャヨガを実践しようとしても、上手くいきません。心を心によって制御するのは、非常に困難です。したがって、身体やプラーナからアプローチする、ハタヨガが重要になります。そして、ハタヨガの訓練により、ラージャヨガの段階に達すれば、もはやハタヨガを実践する必要がなくなります。

準備としてのハタヨガ

なぜラージャヨガの前に、ハタヨガの訓練を行うのでしょう。ヨガのいかなる道を歩むにしても、身体、精神、そして心の健康は不可欠です。そして、それがハタヨガの基本的な目的です。

実際、それはラージャヨガの最初の部分として、しばしば見なされます。ハタヨガの準備的な訓練がなければ、ラージャヨガはとても難しくなります。したがって、最初にハタヨガを学びましょう。

ハタヨガの訓練によって、プラーナと心の2つの偉大な力が調和します。それらは、イダーとピンガラーとして知られており、ムーラダーラチャクラから発出して、アジュナチャクラでお互いに出会います。

それらの結合は眉間の後ろの空間で行われ、ヨガにおいてこの場所は、shoonyaとして知られています。イダーとピンガラーが結びつくとき、スシュムナーが作動します。そのためにハタヨガが訓練されます。

ハタヨガを通して、shoonyaに到達したなら、次に意識を経験するためにラージャヨガの訓練がなされます。最初に結合が行われ、次に経験がきます。そして、その点において瞑想します。それがラージャヨガです。

その点において瞑想すると、何が起こるでしょう。物質と意識が分離し、瞑想者は完全に没入します。それが、タントラです。ハタヨガが最初、ラージャヨガが次、タントラが最後にきます。

<Point1>
ハタヨガは、あらゆるヨガの基礎になります。そして、ハタヨガの重要な目的の1つが、イダーとピンガラーナディーの浄化、そしてそれらの結合です。もしそれが達成されたなら、スシュムナーが機能し、その段階では、瞑想が非常に簡単になります。もはや何の努力も必要なく、自然に瞑想状態が達成できるでしょう。

ヨガにおける心の平安

ハタヨガはどのように、心の平安の維持に役立つのでしょう。

ラージャヨガのパタンジャリのシステムと、ハタヨガの伝統的なシステムの間に重要な違いがあります。ハタヨガのテキストの著者は、心の変動を制御する難しさをしっかりと理解していました。実際、心の変動を制御することは不可能に近いことのようです。それは時々上手くいくかもしれません。しかし、いつもではありません。

したがって、彼らは他の方法をデザインしました。ハタヨガのテキストは、プラーナを制御することによって、心は自動的に制御されると明確に述べています。

<Point1>
ハタヨガでは、心を制御しようとはしません。その代わりに、身体そしてプラーナを制御しようとします。ハタヨガの重要な考えは、心は結果として制御されるという点です。

 

プラーナと心はお互いに影響を及ぼし合います。プラーナが不安定だと心に影響を与えます。ある人はプラーナを制御することよりも、心を制御する方がより簡単だと見つけます。しかし、ほとんどの人は、心によって心を制御することができません。そうしようとすればするほど、ますますそれが困難になります。

<Point2>
ハタヨガの重要な考えの基礎となるのが、プラーナと心はお互いに密接に関係しているという点です。そして、ハタヨガでは、心を制御するよりも、プラーナを制御するほうがより簡単だと考えます。

 

もう1つ重要な点があります。時々、私たちは気分がよく、集中できています。しかし、それは毎日ではありません。したがって、ハタヨガの創始者たちはもう1つの主題を提示します。

「心について心配するな。それを無視し、プラーナーヤーマの訓練をせよ。」

<Point3>
ハタヨガでは、瞑想よりも、プラーナを制御するプラーナーヤーマを重視します。そして、プラーナーヤーマの訓練で成功するためには、シャットカルマとアーサナが重要になります。

 

私たちは2つの方法を知るべきです。そして最も適切な方を選ばなければなりません。心を制御する道は風を制御するようなものです。ハタヨガの道は、それよりはるかに簡単です。

<Point4>
ラージャヨガの道は、多くの人にとって非常に難しいものです。一方で、ハタヨガの道は、多くの人にとってより簡単なものです。したがって、ヨガでは、一般的にまずハタヨガの実践が勧められます。

ハタヨガとラージャヨガの方法

ハタヨガにおける段階と、ラージャヨガにおける段階を比較してみましょう。

パタンジャリのラージャヨガにおいて、8つの段階があります。ハタヨガは別の段階を持ちます。それはshatkarma、asana、pranayama、mudra、bandha、それからyama、niyama、pratyahara、dharana、dhyana、そしてsamadhiです。

パタンジャリの論点は、ヤマとニヤマを最初に完成しなければならないということです。ヤマとニヤマを完成しなければ、アーサナ、プラーナーヤーマなどの他の訓練によって望ましい結果を得ることができません。

パタンジャリは、ブッダと同時代の人物でした。したがって、彼のヨガのシステムはブッダの哲学から大きな影響を受けています。

しかし、ハタヨガの創始者たちは、ヤマとニヤマがシステムの基礎だとは言っていません。彼らは、ヤマとニヤマに関する実践的な困難さを強く意識していました。しばしば私たちは十分な意志力を持っていません。さらに人々はヤマとニヤマを精神的な生活よりも宗教として考えます。

これがハタヨガのテキストで、ヤマとニヤマが強調されていない理由です。ハタヨギーは、身体、ナディー、プラーナ、そしてチャクラを浄化するためにシャットカルマの訓練が最初に来ると言います。次にアーサナとプラーナーヤーマがきます。その後、ムドラーがきます。ハタヨガの訓練で、心と身体が軽くなります。そして、深い瞑想が可能となります。

<Point1>
ハタヨガとラージャヨガのシステムでの大きな違いは、Yama(ヤマ)とNiyama(ニヤマ)に関する考え方です。ラージャヨガでは、ヤマとニヤマが最初にきます。これは、ブッダの考えから大きな影響を受けているのかもしれません。

一方で、ハタヨガはヤマとニヤマについては、実践する必要がないという立場です。その代わりに、シャットカルマから始めます。心の制御は、身体から始めるというのがハタヨガの重要な特徴です。

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