ヨガを極める68

ヨガにおける心の性質

ハタヨガの訓練で成功するために、どのような心の性質が必要でしょうか。

賢人Gherandaは、ハタヨガの訓練のために、ある心の性質を持つことが不可欠だと言います。

1つ目の性質は、dridhataで、”堅固な”もしくは”揺るぎない”を意味します。ある人は、これを力、もしくはエネルギーを意味すると理解し、他の人は、それが心の力を意味すると考えます。

この言葉が、ここで使われている目的は、身体だけでなく、心、知性、そして感情についてです。身体を強く安定したものにしようとする試み、思考プロセスを明瞭にしようとする努力を考慮します。

断固とした態度と決心で、人生を完成させようとします。自己を浄化し、忍耐強く訓練を続けるために、堅固さの性質が重要です。

別の性質は、sthairyam(安定)です。アーサナの訓練の間、安定していなければなりません。緊張や痛みがあってはいけません。アーサナは、リラックスして行わなければなりません。

Gheranda Samhitaでは、もし身体が不安定ならば、心は集中できないので、身体の安定性を獲得することが、不可欠であると述べられています。

もう1つの必要な心の性質は、dhairyam(忍耐)です。それは環境に影響されない、忍耐力を失わない、悲嘆しない、寛容さを失わないことを意味します。

ヨガにおける心の自由

ハタヨガのライフスタイルは、どのように心を解放するでしょうか。

スピリチュアルな振動がある場所に住むことによって、心は、社会や現代のライフスタイルによって養われた、不必要な思考から自由になります。普通の状態で、心は、決して休まることはありません。

ヨギースワトマラマは、実際に、心は、スピリチュアルライフとは関係のないすべての考えを無くすべきだと述べています。家族や仕事を原因とする心配や不安は、訓練中、無くさなければなりません。そのような妨害は、個人の集中する能力に影響します。

過去の出来事を思案したり、未来について熟慮することは、心の自然な傾向です。しかし、この傾向は制御されなければなりません。

心は、訓練に集中し、現在にいなければなりません。無効にしなければならない、継続的で習慣的な心のおしゃべりがあります。このためには、antar mouna(内的な沈黙)がとても有効です。

規律のない心は、騒がしい子供のようです。心が、望まない、そして関係のない考えによって悩まされるとき、それらの考えを、訓練が終わるまで、わきへやる習慣を養いましょう。

これは、心を制御できない人が、訓練から締め出されることを意味しません。ほとんどの人は、心の本当の制御ができません。人間の現在の進化の段階では、心は弱いです。しかし、私たちは、始めなければなりません。ただ訓練を行い、心を好きにさせます。もし、継続的に心を抑えようとしなければ、それは自動的に従順になり、訓練を通して集中するでしょう。

ヨギースワトマラマの時代では、人々は自然にサトビックだったでしょう。昨今、人々はタマシック、もしくはラジャシックな傾向にあります。

サトビックな人は、静かな心を持ちます。そのような人の訓練は、心の作用によって邪魔されることなく進みます。タマシックな人が、鈍い、怠惰な心を持つ一方で、ラジャシックな人は、とても落ち着きがなく、揺れ動く心を持ちます。したがって、譲歩が必要とされます。

スワトマラマの時代には、人々が彼らの人生のすべて、もしくは人生の大部分を訓練に捧げることができたという事を覚えておかなければなりません。

今日の私たちにとって、社会的な義務から離れて、訓練をし続けることは不可能です。一か月間、仕事から離れて、訓練に集中することができる人も少ないでしょう。これは推奨されますが、標準的な人にとっては、毎日30分間訓練に集中することで十分でしょう。

アーサナと心の平安

アーサナの訓練は、なぜ心の平安のために重要なのでしょうか。

私たちは、人生における最初の経験である、感覚と身体の領域に住んでいます。第2の経験は、思考、感情や欲望の形態における心です。第3の経験は、人生の源、精神を理解することです。

身体が最初の経験なので、それは内的な探索のための基本的なツールになります。したがって、ヨガは身体の姿勢(ポーズ)から始めます。身体が静止し、静かになるとき、心もまた静止し、静かになることを覚えておきましょう。

身体の姿勢が訓練されるとき、身体だけでなく、心、感情、そして精神とも働いています。身体の姿勢を行うことによって、身体で経験されるバランス、健康、そして活力は、心の面に影響します。

このように、身体の訓練の最も基本的なものさえ、内的なバランスと調和を達成するを助けます。私たちが、この過程を、身体の姿勢と集中、リラクゼーション、そして瞑想技術と組み合わせるとき、さらに効果的なものとなります。この過程において、身体、心、そして精神の調和と統合が経験されます。

ヨガにおいて身体から始める理由

ヨガの目的が神の実現であるなら、なぜハタヨガは身体から始めるのでしょうか。

精神的な目的、もしくはヨガの目的が神の実現だけであるなら、他の訓練は必要ないかもしれません。

しかし、ヨガの代表者は、心とその能力を洗練する地点に来る前に、プラーナの力を管理、制御、そして目覚めさせなければならないと強調しています。

もし、プラーナが調和しているなら、身体は健康です。もし、心が調和しているなら、心は健康です。身体が喘息、糖尿病、もしくは、高血圧によって煩わされるように、心の病気は、嫌悪、嫉妬、強欲、妬み、怒り、欲求不満です。

ハタヨガでは、心は集中するように訓練されます。身体は不調から解放され、プラーナが目覚めます。心が安定するときは、それに肯定的な種を植える時期です。

ヨガにおける心の管理

ハタヨガは、どのように心を管理するのを助けるでしょうか。

プラーナーヤーマの訓練は、交感神経系と副交感神経系の不調和を取り除くので、プラーナーヤーマ、ムドラー、そしてバンダの訓練を通して、心は影響されます。交感神経系と副交感神経系が不調和なとき、心は制御されません。

もし対象に集中したくて、しかし、外的要因によって邪魔されるならば、心は、主人の言うことを聞きません。10から15分のプラーナーヤーマの後、確かな変化があり、心を扱うことができます。

ヨガの訓練が強力な理由は、問題の本当の原因がある無意識の心に効果的だからです。

 

トラータカと心の力

トラータカは、どのように心の力を利用するのを助けるでしょうか。

通常の目覚めている状態で、私たちは、外部世界からの感覚情報の継続的な流れに影響されています。これに加え、潜在意識から沸き起こるたくさんの考えがあります。

このため、心の巨大な力と潜在力が使われていません。代わりに、心は、その十分な潜在力に比べて、低いレベルで働いています。そのエネルギーはいろんな方向へ分散しています。

トラータカは、意識を一点に集中することによって、この継続的な心の衝撃を切り離します。このようにして、私たちは、心の潜在力に気づくようになります。さらに、トラータカは、心の力を統合する方法で、心や精神を有益な方向へと導きます。

バンダと心の詰まり

バンダは、どのように心の障害物を取り除くのを助けるでしょうか。

バンダは、閉じるだけでなく、身体の、そして心の不純物の形の詰まりを除去します。

ヨガの経典によると、ムーラダーラ、アナーハタ、そしてアジュナチャクラに、精神的なこぶがあります。このこぶは、意識の異なったレベルでの妨害物です。それらは、精神的な障害で、個人の重要な性質の本当のイメージをぼんやりさせる心の問題です。

それらは、瞑想の領域に上昇するのを妨げます。それらは、緊張、不安、抑圧、そして葛藤として経験されます。これらのこぶは、もし高次意識の経験を知りたいならば、取り除かなければなりません。それらは永久に、もしくは一時的に取り除かれます。

バンダは、これらのこぶ、もしくは障害を除去する最も効果的な方法の一つです。バンダの繰り返しの訓練で、一時的な除去が、永久的な除去に変わっていきます。

これらのこぶは、身体の主要なプラーナの通路へのプラーナの流れを阻害します。それらが解放されるとき、プラーナは、直ちにスシュムナーを通して流れ始めます。それは、心の受容力の強化と高次の経験を導きます。

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