ハタヨガの進化
4世紀から6世紀頃に、偉大なヨギーたちがタントラのシステムを洗練し始めました。Matsyendranath、Gorakhnathと、その他数名のヨギーが、この重要な科学であるハタヨガが無視され、間違って教えれていることを理解しました。そして彼らは、タントラの儀式的な部分は残し、ハタヨガとラージャヨガの訓練を残りの部分から切り離しました。
彼らが訓練を選ぶとき、タントラのシステムからヨガの実用的で実践的、そして貴重な訓練を取り出しました。このようにハタヨガが確立されました。ハタヨガはタントラ系の技術で、その特徴は非常に実践的だという点です。
<Point1>
”ハタヨガの出現に関して簡潔に述べられています。特に重要な部分は、それが実用的なものとして開発されたことです。”
ヨガとスピリチュアルライフ
多くのハタヨガの権威者の中で、Swatmaramaは傑出した人物です。彼はHatha Yoga Pradipikaとして知られるハタヨガのシステムに関する本を編集しました。それは、訓練者の身体、心、そして精神の問題の多くに光をあるテキストです。
彼より前に、Matsyendranathの弟子であるGorakhnathが、地元の言葉でハタヨガに関する本や詩を書きました。しかし、インドでは、原作はサンスクリットで書かれるべきだという伝統がありました。そして、Swatmaramaがサンスクリットでハタヨガの英知全体を編集しました。
Hatha Yoga Pradipikaの素晴らしさは、すべての訓練者が直面するほとんどの問題を解決することです。他の教典でも扱われているシャットカルマ、アーサナ、そしてプラーナーヤーマは議論されていますが、そこではラージャヨガにおけるヤマとニヤマは完全に削除されました。
ヤマとニヤマを訓練するためには規律や自制、そして、心に関してある程度の良質が必要です。私たちが規律や自制を訓練しようとすると、しばしば心に多くの問題を作り出すことになります。もし調和を作り出せないとしたら、自制や規律は、心の平安よりも葛藤を生み出します。自制は、哲学もしくは宗教的な原則として必ず説明されます。しかし、それは人間らしさを助けることに失敗しています。
ハタヨガの大きな特徴は、ラージャヨガにおけるヤマとニヤマを完全に取り去った点です。なぜなら、ヤマとニヤマの実践は非常に難しく、それをしようとすると逆効果になるからです。
Hatha Yoga Pradipikaで最初に述べられていることは、Swatmaramaが、ヤマとニヤマのような自己コントロールや自己規制について全く心配していないという点です。自制や規制は身体とともに始めるべきです。そのほうが、とても簡単です。アーサナもプラーナーヤーマも規制です。パドマアーサナで15分間座ることも自己規制です。なぜ最初に心と戦う必要があるのでしょう?
ハタヨガでは、ヤマとニヤマと言った訓練は行わず、誰もが比較的簡単に実践できるシャットカルマやアーサナといった身体へのアプローチから始めます。
私たちは心と戦う力はありません。しかし、人々はいつも心と戦おうとします。それによって、心に反目を作り出しています。ひとつの心は、規制を破ろうとし、もう一つの心は、規制を維持しようとします。しかし、2つの心はありません。ひとつの心が、それ自身を2つに分けようとしているのです。この分離はすべての人に見受けられます。
「心によって心を制御することはできない。」これがハタヨガの基本的な考え方です。「心は何か?」「心にはどのような特徴があるか?」など、心および心の作用に関して学ぶことで、このハタヨガの考え方の素晴らしさがより理解できます。
この危険性は、ハタヨガの権威者やマスターによって明確に理解されています。したがって、彼らは最初に身体を規制せよと言い、そして身体によって意味されることを説明します。彼らは、微細な要素とエネルギーの通路を浄化すべきだと言います。彼らは、プラーナの動き、神経系全体、そして身体の様々な分泌物が適切に維持され、調和されるべきだと言います。
<Point1>
”ハタヨガの大きな特徴であり、ラージャヨガとの違いである、重要な考え方が述べられています。それは、ハタヨガでは、ラージャヨガにおいて最初に実践すべきとされるYamaとNiyamaが排除されている点です。この考えは、ヨガの道を進もうとする者にとって非常に重要です。なぜなら様々な規制や自制によって、心を制御することは非常に難しいからです。”
”スピリチュアルライフを歩もうとする多くの人が直面する大きな障害が、心によって心を制御しようとし、結局、問題を大きくしていることです。ハタヨガでは、心を制御しようとしません。その代わり、誰もが比較的扱いやすい、身体から始めます。この方法により、誰もが、少しずつヨガのプロセスを進めていくことができます。”
いつも覚えておかなければならないのは、身体、心、そして精神は3つではなく、それらは1つだということです。存在のひとつのレベルで身体が経験されます。もうひとつのレベルで存在は、心として知覚されます。精神は身体とは異なる、身体は精神とは違うと考えるべきではありません。それらはひとつです。この身体の根本は神性です。
<Point2>
”身体、心、そして精神は、それぞれが別物ではなく、基本的にひとつだと考えます。したがって、ハタヨガの身体からアプローチする方法が、ヨガの道において有効となります。もし、それらが全く関係のないものだとしたら、ハタヨガのアプローチによりヨガの目的を達成することが不可能となります。”
ヨガの体系的なアプローチ
ヨガの最終的なゴールはサマーディのもっとも高い段階の獲得です。最終的に、ヨガのすべての精神的な訓練や系統はこの状態へ導きます。しかし、ゴールに到達する方法はたくさんあります。もし、私たちがすべての道を信じ従おうとすれば、最終的な経験を得ることは決してできないでしょう。
ヨガにはたくさんの道があります。しかし、それらはすべて同じ目的地を持っています。どの道を歩むにしても、必ず覚えていなければならないことは、ある道を歩み始めたなら、その道を歩み続けるという点です。目的地に到着するまで、その道を進んでいかなければなりません。
個々の方法は体系的でなければなりません。カルマヨガ、バクティヨガ、ジュナーナヨガ、禅、もしくはいくつかの組み合わせの訓練を行うにしても、順序立てられたシステムが必要です。ヨガのシステムは最初から最後まで、他のシステムを試したりして、そこから逸れることなく従わなければなりません。ひとつのシステムを信じて、それに従った後、少しして他のためにそれから離れていてはどこにもたどり着けません。
<Point1>
”ヨガには様々な道があります。しかし、すべての道は同じ目的へと向かっています。したがって、個々の性質や好みに合わせて1つの道を選び、その道を歩んでいくことが大切です。一般的には、伝統的な4つの道の1つを選び、他のものを補助的に利用することが勧められます。”
様々なヨガの系統
ヨガの様々な系統は、どこで発展したのでしょうか。
インドにおいて、ヨガは2つのグループに分けられます。北インドのヨガと南インドのヨガです。南インドのヨガは、ハタヨガとクリヤーヨガです。しかし、クリヤーヨガの伝統は現在失われているようです。
北インドでは、人々はヨガの様々なシステムを、訓練としてだけでなく、生活に取り入れたシステムとして、実践し開発する傾向にあります。彼らは、ラージャヨガ、バクティヨガ、カルマヨガ、ジュナーナヨガ、そしてクンダリーニヨガを開発し、そして南からクリヤーヨガとハタヨガを取り入れました。
ヨガの聖地として、北インドのリシケシが有名です。そこに行けば様々なタイプのヨガを体験できます。
<Point1>
”もしインドで、ヨガを学びたい、経験したいと思うのなら、インドの北部が勧められます。特に、ヨガの聖地として知られ、世界中から多くの人が集まるリシケシが良いでしょう。”
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