ヨガを極める⑬

ヨガにおけるエネルギーの解放

ほとんどの人はハタヨガはポーズだと考えています。多くの人が様々なポーズを行うことがハタヨガだと勘違いしています。しかし、もしあなたがHatha Yogaという言葉を分析するとそれが何を意味するのかが明らかになります。

身体には2つの力があります。一つは太陽、もう一つは月です。Haは太陽の力、プラーナ、そして光です。Thaは月の力、心と意識です。目覚めをもたらすためには、これら2つの力を結び付けなければなりません。そしてそれがハタ(Hatha)ヨガです。

同じようにタントラでは、シバとシャクティがあります。シバは意識でシャクティは宇宙の本質です。シバはエネルギーの陽極でシャクティが陰極です。それらはいつも離れています。シバは時間で、シャクティが空間です。時間と空間の相互作用はタントラの基礎です。

宇宙において、ちょうど電気にプラスとマイナスがあるように空間は陽極で時間は陰極です。それらが離れているとき、爆発や閃光はありません。しかし、2つの極が結びつけば閃光が起こります。同じようにシバとシャクティが分かれている限り、時間と空間は分かれており、そこに創造は起こりません。それらが結合すると爆発が起こります。

シバとシャクティは脊髄の頂点、アジュナチャクラで結合します。この結合は精神的な目覚めにつながります。これがハタヨガの意味です。

ヨガは結合を意味します。ハタヨガは太陽と月、プラーナと心、シバとシャクティ、陽と陰を意味します。タントラはこれら2つの力の拡大と解放のプロセスです。

科学者が研究室で原子を破壊し、エネルギーを解放するのと同じように、心からエネルギーが解放されます。それがタントラです。アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラーとバンダはこの人間という実験室で必要なプロセスです。

ハタヨガにおけるタントラの訓練

Hatha Yoga Pradipikaで、シャットカルマ、アーサナ、そしてプラーナーヤーマの後に教えられる訓練は、スシュムナーを目覚めさせるためのものです。

Maha mudraとMaha bheda mudraはスシュムナーを目覚めさせる技術です。その次にクンダリーニの目覚めがきます。この時までにすべてが整っておかなければなりません。チャクラ、ナディスの通路、そしてスシュムナーが浄化されていなければなりません。

ヨギーやヨギーニは準備が整っており経験を扱うことができます。人々は感情的な経験をうまく扱うことができません。彼らは死や誕生、愛や嫌悪を扱うことができません。一般の人たちは高次の経験を扱うことができるでしょうか。もし準備ができていればそれは可能です。

Hatha Yoga Pradipikaでもう一つの重要な点は、Kechari mudraです。Khechari mudraはタントラの訓練です。たとえ瞑想の仕方が分からなかったとしても、たとえ十分な意志力がなかったとしても、もしKhechari mudraが訓練されれば後になって身体にアムリタと呼ばれる分泌物が流れます。

それが細胞レベルに到達すれば心の状態が変化します。高揚感があり、脳波が変化します。音楽が内側で聴かれることがあります。どの季節にも、どこでも美しい花を見ることができます。月がなくても月を見ることができます。身体が静まります。

タントラに由来するハタヨガのもう一つの重要な面はvajroliとsahajoliです。vajroliは男性、sahajoliは女性に関係します。vajroliの訓練により精子とテストステロンの生産が影響され精液が保存されます。このためヨギーが家庭を持ったとしても精液を失うことはありません。

女性にとって、それはsahajoliです。ヨギーニはsahajoliを訓練し、彼女の分泌物を抑制し導きます。これはハタヨガが重要だと考える保存の原理です。

男性は精液を保存し、女性は分泌物を保存しなければなりません。性生活の放棄を主張しているのではありません。禁欲はそれ自身で有益なものですが、すべての人にとって良いとは限りません。それは現実と自然のプロセスに反対しています。

ではどうすれば良いのでしょう。ハタヨガはある提案をしています。それは保存の原理と呼ばれます。保存は重要で、行為は重要ではありません。何か悪いことが起こるとしたら、それは喪失の結果であり行為のためではありません。

タントラによると、肉体的な感覚とのかかわりはヨガの手段になりえます。感覚の相互作用は高次意識を導きます。私たちは肉体を持っており、その存在を否定することはできません。感覚の経験を知るまで、どのようにより深い微細な意識を開発することができるでしょう。

初めに、私たちは肉体的な経験を知らなければなりません。次に、より微細な知覚を強化していき、経験が肉体的な感覚に巻き込まれることなく、心において目覚めることができます。

日中、私たちは目で見ます。しかし夜に夢を見ているとき何が起こっているのでしょう。私たちは目で見ていないにも関わらず、心は経験しています。したがって、タントラでは、肉体的な身体は心のより深い部分と存在の真実を探索する手段です。

ヨガにおける悟り

人間の意識の啓発、悟りはタントラの伝統において、宗教的な仕方で決して理解されません。それは必ずある訓練によって身体の中で起こる生理学的な可能性として知られています。これがタントラのシステムで、宗教的な哲学と反対に、身体の浄化とプラーナやナディーが悟りの為に必要とされる理由です。

もし身体が毒素でいっぱいなら、もしプラーナが阻害されており、自律神経が不調和なら、そしてもしチャクラが浄化されていなければ、そのとき悟りは起こりません。この浄化の目的で、いくつかの訓練がハタヨガ、クリヤーヨガ、そしてタントラで示されています。

多くの宗教経典や哲学は、身体を越えた精神的な解放や高次の生活について話します。しかし、それらはいつも意識と物質、魂と身体との間の分離を作ります。それらは神性は身体を越えて得られるものだと主張します。しかしそれらは決して身体それ自身が神聖な経験で、そして現れだと主張しません。

タントラでは、高次意識への方法は身体を否定することよりもむしろ身体を浄化し、その経験の意識を拡大していくことだと主張します。宗教は人間の身体は汚れており、それによって人間は堕落するという概念を持ち、したがって意識は救済されなければならないと考えます。タントラの観点で、これらの考えは抑圧、罪悪感、心と身体の病を導きます。

タントラは身体と精神は2つではなく、1つだと主張します。意識は身体の72,000のナディスに行き渡ります。悟りは、ハタヨガの訓練を通して、まずはナディーの障害と不純を取り除くことによって得られます。そして、神経系が、クンダリーニの力の上昇と目覚めをともなう意識の巨大な電圧を維持することが可能となります。

身体からの解放もしくは救出を得られる方法があるかもしれないのに、なぜ身体が拒否されるのでしょうか。人間の誕生は汚れたものでしょうか。精神的な意識は心に取り組むことによって、もしくは身体を浄化することによって始めるべきでしょうか。これらは精神的な訓練者が決めなければならないことです。ハタヨガは健康と悟りを経験するために意識を浄化したいと考える人のために存在します。

重要な点は、悟りのためには、意識が開発され、身体はより微細な存在に変換されなければならないことです。このプロセスはシャットカルマで始まり、神経系におけるクンダリーニの力の働きを通して進んでいきます。

食事や生活の規制の精神的な利益は何でしょう。それは開発よりむしろ停滞かもしれません。このタイプの生活は自然な欲求の抑圧を基礎とした単なる複写です。

これが宗教と、悟りの直接的な経験を求めるライフスタイルとの基本的な相違です。偉大な真実の経験は、ヨギー、ヨギーニにとってすべて重要です。